ズルい奴ら

 日本の一大TRPGデザイナー企業と言えば、FEAR。記憶が正しければ、有限会社だったはず。
 FEARと言うTRPGデザイン会社は、それまでのRPGで痛い目にあった経験やらその手の教訓を基に、TRPGのやり方をある程度様式化しようと考えたようです。
 これを読んでいるような人ならわかるでしょう、こうまで書くとわかるでしょう、FEARがデザインしたTRPGは、シーン制の導入と、戦闘ターンの流れを確定した。と言うことをやったんですねぇ。
 この二つの仕組みは、キャラクターが何をしているのか、どのタイミングで何ができるのか、そもそも存在しているのか、を、明確にしたかったんでしょう。
 わざわざそんなことをするのは?
 今までその当たりのことを、あやふやなぁなぁにしていたので、イザ状況が錯綜し始めると、誰が話をして良いのか?その場にいて良いのは誰なのか?などなど、ゲームマスターと各プレイヤーの間で状況の取り違えがたっくさん発生していたのです。
 それを整理すべく取り入れられたのが、シーン制の考え方。TRPGの進行を、テレビドラマや映画のごとく、場面場面を区切って表現する手法。
 実際のシーン制は、ゲームマスターがシーンの開始にそのシーンの状況を説明し、登場できるキャラクターを指定します。登場の指定がないキャラクターは、場の空気を見ながらシーンに出る出ないを決めていきます。大体こ〜んな感じ。
 こういったシーン制の特徴は、キャラクターがその場にいるのか居ないのかをはっきりさせておくこと。大事なことなので、ここでも言っておきます。
 えぇ、かつてあった混乱の解消に寄与したシーン制ですが、新たな問題が出てきたと思うんです。それは、シーン制を理由としたプレイヤーの怠慢行為が見えてくるんです。
 シーン制の表向き発生する問題として、情報格差。
 例えば、劇中のあるシーンにおいて、重要な情報がもたらされた場合、その場(シーン)にいたキャラクターは情報を得ます。そしてそのシーンにいないキャラクターは、情報を持っていないことになります。
 ここで、当たり前でありながら、奇妙な情報の格差が出てきたないだろうか?
 情報を得ていないのは、シーンにいなかったキャラクター。
 情報を得ているのは、シーンに出ていたキャラクター。だけではないですよ。その場にいたプレイヤーとゲームマスターも情報を得る立場にいるんです。
 シーンにいたキャラ・居なかったキャラ、の、情報格差はもちろんのこと、シーンにいなかったキャラクターとプレイヤーの情報格差として捉えることは、ここから先重要ですよぉ。
 このキャラクター&プレイヤー間の情報格差が、こんなセリフを吐かせることとなります。
「その情報がないので、行動できません」
「その情報がないので、判断できません」
「その情報がないので、(以下略)」
 えぇ、この手の言葉は、当方個人からすればゲーム進行をサボる口実としか思えないのです。
 そうはいっても、
「知らないことを前提としたロールプレイをして何が悪い」
 と、行ってきそうですが、それでも敢えて言ってしまおう。「サボるな!!」
 プレイヤー視点で情報を得ていながら、キャラクター視点で情報を得ていないことを言い訳にしてキャラクターの行動を知らないこと前提を強要する。それはなんてダメ発想にして、なんてダメダメ消極発想なんだろう!
 なら、そのキャラクタープレイヤー間の情報格差をどうしろと言う。必死になって格差を埋めろ。
 情報の共有なんて初歩の初歩。自らのリソースを利用して、他のキャラクターが探り
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